2024-04

江戸時代

初代小諸藩主仙石秀久の墓:長野県小諸市・上田市

概 略 豊臣秀吉の家臣としてとんとん拍子で10万石の大名まで出世した仙石秀久は、直後の九州征伐で失脚し改易されるも、志願して参戦した小田原征伐で戦功を挙げ5万石小諸藩主として復活しました。 3カ所ある秀久の墓(小諸市・鴻巣市・上田市)を紹介...
大分県

角塔婆と板碑(佐田神社):大分県宇佐市安心院町

概 略 大分県有形文化財指定の2基の板碑に刻まれた年号「正慶元年(1332年)」は北朝、「元弘3年(1333年)」は南朝の年号であり、鎌倉幕府滅亡から南北朝時代にかけての動乱期に造立された角塔婆と板碑です。また、当時陣僧として活躍したであろ...
江戸時代

高坏型石殿:群馬県東吾妻町

概 略 本稿ではかなり珍しいと思われる石殿(石宮・石廟・ミヤボトケなど呼び方多数)3基を紹介します。左・中央の石殿は高坏のように1本脚で支えられ、このデザインはまだ他所で見たことがありません。同時に3基とも須弥壇状の部分を持つのが特異的で、...
江戸時代

田中吉政の墓(真勝寺):福岡県柳川市

概 略 柳川藩藩主田中吉政(初代)・忠政(2代)父子はキリスト教に寛容で、吉政は洗礼名(バルトロメヨ)を持ち、忠政はキリシタンを殺害した家臣を即座に処刑した逸話を持ちます。ですから、隠れキリシタンの墓として真勝寺の本堂下に営まれたのかと想像...
栃木県

足利氏歴代の供養塔(光得寺):栃木県足利市

概 要 源義家の末裔で足利庄を本拠にした足利氏は源頼朝挙兵の際いち早く与し以後鎌倉幕府内で、源家の一門的地位を得ました。また、執権北条家と姻戚関係を築き北条家に次ぐ権力を持っていました。2代当主足利義兼は北条時政の娘を妻とし源頼朝と義兄弟の...
平安時代まで

隼人塚(国史跡):鹿児島県霧島市

従来の説:大和朝廷に反抗し殺された隼人の霊を供養するために建てられた。現在の説:造立年代的に隼人霊の供養塔ではなさそう。 霧島市隼人町内山田字山跡の標高15m程の平たん地にある隼人塚は南東を正面に3基の層塔を四天王が守護する形で立っています...
明治時代以降

墓は金文字:長崎県

現代の墓は地方色が思いのほかあるようです。 関東地方では「○○家之墓」と彫られ墓誌や木塔婆があるのが一般的かと思います。もっとも、都会ではマンション型の墓も増えてきていますが。 新潟県魚沼地方では○○家之墓というのはあまり目にすることがなく...
明治時代以降

配流された隠れキリシタンの墓(福昌寺跡):鹿児島市

概 略 キリシタン最後の弾圧となった浦上四番崩れ(1867年、慶應3年)・・・長崎県浦上村で隠れキリシタンの存在が発覚し、伝道師高木仙右衛門を始め浦上村の一村全員が総流罪となる事件で、3400人とも4000人とも言われるキリシタンが大和郡山...
宮崎県

鵜戸神宮・初代宮司の墓:宮崎県日南市

概 略 江戸時代までは神仏習合で、神社は別当寺(神宮寺・神護寺などとも)に従属していました。鵜戸神宮(江戸時代までは鵜戸権現)も例に漏れず、鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺の別当傘下にありました。 1868年(明治元年)に神仏分離令が出ると仁王...