2024-02

鎌倉・室町・安土桃山時代

真田信綱の墓(信綱寺):長野県上田市

~信綱の墓は中央ではなく左端にある~ 上田市真田町の山間に信綱寺はあります。 真田信綱(幸隆長男、昌幸の兄)がこの地に寺を移したそうです。 その信綱は優秀な人物で上州吾妻郡攻略では中心的人物でしたが、長篠の戦に従軍し戦死しました。その時次男...
群馬県

長野氏累代の墓(来迎寺):群馬県高崎市

16世紀中盤の戦国時代の西上州では長野業正(なりまさ)が国衆連合(箕輪衆)を築いて、勢力を広げていました。それまで関東管領守護上杉氏、守護代白井長尾氏に従っていましたが、業政(業正)の時代にはそれを凌ぐ力がありました。上州を狙う武田信玄はた...
群馬県

廃覚動寺多宝塔(常明院魚遊寺):群馬県前橋市

南北朝時代(永和22年、1396年)の石造多宝塔(市指定文化財)がこの山門をくぐってすぐ左手にあります。【覚動寺は乗明院の末寺であったが明治時代に廃寺となり、後に跡地は昭和大橋の建設地となった。廃寺にともない覚動寺にあった宝塔は乗明院に移設...
群馬県

長野業政・長野氏歴代の墓(長年寺):群馬県高崎市

長年寺(高崎市中室田町)の長野氏の墓(市指定文化財)には、7基の五輪塔があります。鷹留城を拠点に箕輪城にも勢力を広げ、西上州の一大勢力となりました。 系図順に並べますので、五輪塔の形(特に笠の張り出しやカーブ)をご覧ください。それぞれ簡単な...
群馬県

康元の板碑と五輪塔(妙典寺):群馬県高崎市

妙典寺の板碑(市指定文化財)は1257年(康元二年)鎌倉時代中頃のもので、年銘のあるものでは高崎市で一番古く、高さ215cm、最大幅58cm、最大厚9cmで一番大きい板碑です。板碑では一般的で加工しやすい緑泥片岩で作られました。 板碑は追善...
明治時代以降

二十二夜塔と念仏〇:群馬県吉岡町

吉岡町の墓地にある二十二夜塔。全国的には、二十三夜塔が最も一般的に認められますが、二十二夜塔は埼玉県の北西部から群馬県の中西部域に分布しています。 高さは基礎を含めて3m以上ある、大きなものです。 台石に女人講。二十二夜講は女性の講でした。...
江戸時代

前橋藩主酒井家の儒墓群(龍海院):群馬県前橋市

~4代忠清の墓から仏式から儒式に変わった~概 略 前橋藩主酒井家の墓(市指定文化財)は初代~3代は仏式、4代~15代は儒式に変化しています。通常は岡山藩池田家や徳島藩蜂須賀家のように仏式墓は寺院、儒式墓は寺院外に営まれますが、酒井家の場合、...
明治時代以降

石の祠・藁の祠(地の神・屋敷神):群馬県東吾妻町

神社や寺の片隅などに石の祠を目にすることがあります。庇の長い流造(ながれづくり)の石祠と短い石祠があるように思います。 本稿は東吾妻町大戸の流造の石祠と藁祠を紹介します。 地の神様といって、家の裏庭などに祀られている屋敷神の一種のようです。...
江戸時代

隠れキリシタンの墓:群馬県上野村

上野村楢原の白井地区は今はひっそりとした山中に佇みますが、江戸時代は白井関所があり、信州佐久の米が1日10石ほども運ばれる往来がありました(近くの十石峠の名の由来です)。農地が極めて狭く人々は商売を生業として暮らしていました。米問屋の黒沢藤...
新潟県

地域色が出る現代の墓:新潟県魚沼地方

関東に住む者は「○○家之墓と竿石に彫られた墓」が一般的だと思っていますが、新潟県魚沼地方の墓を見たら驚くでしょう。写真① 累霊舎利塔 この墓は大正14年に建てられたものです。多分、基礎部分が当時のもので竿石は後年に建て替えられたものと思いま...