明治時代以降

明治時代以降

明治の父・真の幕臣 小栗上野介の墓(東善寺):群馬県高崎市

概 要 明治維新前後旗本小栗上野介忠順(ただまさ)はその才能と人格を大老井伊直弼に見出され、日米修好通商条約批准にあたっては目付として渡米。同時に貨幣の交換比率の不公平を是正させる任務を負っていました。 帰国後は外国・勘定・江戸町・歩兵奉行...
明治時代以降

墓は金文字:長崎県

現代の墓は地方色が思いのほかあるようです。 関東地方では「○○家之墓」と彫られ墓誌や木塔婆があるのが一般的かと思います。もっとも、都会ではマンション型の墓も増えてきていますが。 新潟県魚沼地方では○○家之墓というのはあまり目にすることがなく...
明治時代以降

配流された隠れキリシタンの墓(福昌寺跡):鹿児島市

概 略 キリシタン最後の弾圧となった浦上四番崩れ(1867年、慶應3年)・・・長崎県浦上村で隠れキリシタンの存在が発覚し、伝道師高木仙右衛門を始め浦上村の一村全員が総流罪となる事件で、3400人とも4000人とも言われるキリシタンが大和郡山...
宮崎県

鵜戸神宮・初代宮司の墓:宮崎県日南市

概 略 江戸時代までは神仏習合で、神社は別当寺(神宮寺・神護寺などとも)に従属していました。鵜戸神宮(江戸時代までは鵜戸権現)も例に漏れず、鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺の別当傘下にありました。 1868年(明治元年)に神仏分離令が出ると仁王...
明治時代以降

二十二夜塔と念仏〇:群馬県吉岡町

吉岡町の墓地にある二十二夜塔。全国的には、二十三夜塔が最も一般的に認められますが、二十二夜塔は埼玉県の北西部から群馬県の中西部域に分布しています。 高さは基礎を含めて3m以上ある、大きなものです。 台石に女人講。二十二夜講は女性の講でした。...
明治時代以降

石の祠・藁の祠(地の神・屋敷神):群馬県東吾妻町

神社や寺の片隅などに石の祠を目にすることがあります。庇の長い流造(ながれづくり)の石祠と短い石祠があるように思います。 本稿は東吾妻町大戸の流造の石祠と藁祠を紹介します。 地の神様といって、家の裏庭などに祀られている屋敷神の一種のようです。...
新潟県

地域色が出る現代の墓:新潟県魚沼地方

関東に住む者は「○○家之墓と竿石に彫られた墓」が一般的だと思っていますが、新潟県魚沼地方の墓を見たら驚くでしょう。写真① 累霊舎利塔 この墓は大正14年に建てられたものです。多分、基礎部分が当時のもので竿石は後年に建て替えられたものと思いま...
明治時代以降

キリスト教と仏教の麗しい関係があった・長昌寺のクリスチャン墓:群馬県前橋市

長昌寺(前橋市)にはキリスト教徒の墓7基とキリスト教徒が開設した上毛孤児院(現地行園)の墓があります。長昌寺墓地からキリスト教と仏教の麗しい関係が伺えます。