江戸時代

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代官掘・江原源左衛門重久の墓(慈眼寺):群馬県高崎市

概 要 総社藩主秋元長朝は天狗岩用水を開削し農業生産性を大幅にアップさせ、領民から名君と慕われました(力田遺愛碑)。その秋元長朝に触発され、関東代官頭伊奈忠次は江原源左衛門と共に高崎市滝川地区・玉村町にわたる広大な荒れ地に代官掘を開削し農民...
江戸時代

伝隠れキリシタンの墓(慈眼寺):群馬県高崎市

江戸時代の上州では沼田市周辺・藤岡市鬼石地区・上野村(白井地区)などが隠れキリシタンが潜んでいた地区として有名ですが(参考①)、キリシタン大名有馬晴信の娘が初代前橋藩主酒井重忠の次男忠季(徳川家小姓)に嫁ぎ、1611年に京都の神父が前橋藩を...
東京都

井伊直弼の墓・正妻貞鏡院の墓・桜田殉難八士二七回忌碑(豪徳寺):東京都世田谷区

概 要 14代彦根藩主井伊直中の14男として誕生した直弼は、本来ならあり得ない状況の中32歳で16代藩主に就任します。藩政を改革し、幕府内では大老を任され、14代江戸幕府将軍擁立(家茂・慶喜)と開国・攘夷対立の難問に精力を注ぎました。 直弼...
東京都

家康長男信康供養塔・服部半蔵正成の墓(西念寺):東京都新宿区

概 要 皇居の半蔵門から30分ほど西に歩くと西念寺(新宿区)があります。 徳川家康の側近で、「神君伊賀越え」の功労者として名高い服部半蔵正成は、家康長男信康切腹の折介錯を命じられますが慟哭のあまりその任を果たせなかったばかりか、慰霊の念を生...
江戸時代

鶴岡八幡宮初代宮司筥崎博尹の墓(寿福寺):神奈川県鎌倉市

概 要 鶴岡八幡宮は明治維新に伴う神仏分離令により別当や俱僧の支配(鶴岡八幡宮寺)から脱却しました。 その時俱僧の中から僧籍を捨てた筥崎博尹(はこざき ひろただ)が初代宮司に就任し、寺領を失い困窮する鶴岡八幡宮の立て直しに尽力しました。 神...
江戸時代

鶴岡八幡宮大伴神主家の墓(浄光明寺):神奈川県鎌倉市

概 要 神仏習合の時代、神職であっても墓は仏式が当たり前でした(鵜戸神宮宮司の墓、諏訪大社上社大祝諏訪家の墓参照)。 源頼朝が鶴岡八幡宮を創建して以来明治のはじめまで、代々神主を勤めた大伴神主家の墓が浄光明寺のやぐらにあります。大伴神主家の...
江戸時代

農民に慕われたお殿様 秋元長朝・秋元家歴代墓所:群馬県前橋市

概 要 総社藩初代藩主秋元長朝は入封すると、利根川から灌漑用水を引いて荒地を潤そうと考えました。天狗岩用水工事協力農民にはその期間の年貢免除を約束し、総社藩の石高は1万石から15000石にアップさせました。その後隣接の幕府代官領でも開削が進...
江戸時代

井伊直政正室の墓(大泉寺):群馬県安中市

概 要 高崎藩12万石井伊直政は関ケ原の戦い後彦根藩15万石に移封され、関ヶ原の鉄砲傷がもとで1602年亡くなりました。長男直勝が12歳で2代藩主につきましたが、家臣団をまとめきれず、1615年安中藩3万石に移封され、生母唐梅院(直政正室)...
江戸時代

改易後10万石大名に復帰・丹羽長重の墓:福島県白河市

概 要 関ケ原の戦いで西軍に与した格好になり改易された丹羽長重の変転の人生と墓を紹介します。長重の高さ4.27mの宝篋印塔は廟と共に白川藩大名墓地(市文化財:円明寺跡)にあります。 また、嫡男光重が父長秀の墓を残して二本松藩に移封された理由...
江戸時代

峠の馬頭様・馬頭観音石堂:群馬県渋川市

概 要 馬頭公園(渋川市石原)にある石堂に安置された馬頭観音で、石堂の左右にそれぞれ親子の馬を従えています。長い間地域住民にし「観音様」と呼ばれ、一時保育園があった関係もありますが子供にとっては石馬に乗って遊んだなど、親しまれて来ました。馬...