白井長尾氏歴代墓所・須弥壇型宝塔群(空恵寺):群馬県渋川市

群馬県

概 略
 室町時代関東管領山内上杉氏の家宰・守護代白井長尾氏が群馬県で勢力を誇っていました。その白井長尾氏歴代の墓(市指定文化財)が空恵寺にあります。
 白井長尾氏の宝塔群は群馬県・埼玉県北部のみに見られるもので、基礎と塔身の間に須弥壇型が挟まれています。白井長尾氏の須弥壇型宝塔は円柱状塔身がほとんどで、二重塔身などもみられ宝塔としてはかなり異型です。


長尾氏概略
 室町幕府は関東支配のために鎌倉公方を置き、鎌倉公方の補佐・監視として関東管領上杉氏(山内・扇谷など)を置きました。その山内上杉氏の家宰が鎌倉長尾氏です。鎌倉長尾氏は犬懸長尾氏(宗家)、長後尾越氏(上杉謙信など)、足利長尾氏、白井長尾氏(渋川市)、総社長尾氏(前橋市)に分かれました。

(長尾氏系図:足利市イベント周遊ガイドHPよりお借りしました)

(現地解説板)

 清景が上野国白井の白井城を築き本拠とし、跡を継いだ景守は上野守護代を担い、その後も武蔵守護代、山内上杉氏の家宰職などを歴任しています。景信の代に最盛期を迎え、関東管領上杉顕定を支え(事実上山内上杉家の実権を掌握し)、古河公方(※)である足利成氏と権力闘争を行っています。
 景春の子である景誠が家臣に暗殺されると衰えると、関東管領上杉憲政(山内上杉家)の配下となります。この比には白井長尾氏内では長野業政次いで小畑顕高に実権は移っていきます。
 1567年(永禄10年)武田信玄の上野国侵攻により白井城は落城、一時白井城を取り返すものの1572年(元亀3年)に真田幸隆(武田家臣)に攻められ再び白井城は落城しています。
 上野国の武田家の影響力が低下すると再び白井城を奪取し、その後は上杉景虎、武田勝頼、滝川一益、小田原北条氏に仕え、1590年(天正18年)の小田原の役では北条方として行動し敗戦、白井城も開城し、以後は上杉家に仕えています。
 その歴代墓が空恵寺の裏山にあります。

※ 古河公方・・・室町幕府は関東統治のため鎌倉府(長は「公方」)を置き、その監視・補佐に関東管領を置きましたが、公方と関東管領の間で権力闘争が頻発します。五代鎌倉公方は足利成氏は鎌倉を逃れ、古河に古河府を置き初代古河公方を名乗りました。古河公方も五代続きました。

須弥壇型宝塔

 異型は多いのですが上掲図は宝篋印塔の一般的な形です(名古屋市立博物館よりお借りしました)が、白井長尾氏の宝塔群は基礎と塔身の間に須弥壇を挟んだ「須弥壇型宝塔」と呼ばれ、南北朝時代から室町時代にかけて埼玉県北部から群馬県内のみに見られる特殊な石塔です。
 また、塔身が円柱状のものも多数見られますが、これは他地方にも見られるのかまだ知識が不足しています。

 17基中15基は長尾氏の供養塔です。ただし、下記の祖塔以外は崩落していたのを積み直した経緯がありますので、原形とは異なっているものも多いと思います。

祖 塔

須弥壇型二重宝塔:基礎:梵字入り塔身・須弥壇・伏鉢・請花・円筒形塔身・隅飾無し笠・相輪
 宝塔群の前に立っているこちらは完形のようです。祖塔(長尾氏の遠祖鎌倉権五郎景正あるいは長尾景凞)と考えられています。
 以下、17基の宝塔を載せます。
※ 以下、隅飾・露盤付きは「笠」、隅飾・露盤が無く五輪塔の笠とデザインのものは「五輪塔笠」と表記します。

1番塔(17基の供養塔の向かって右から)

構成:基礎石・梵字入り塔身・第二基礎(※)・第二塔身・須弥壇・梵字入り第三塔身・笠・相輪
※ 第二基礎は須弥壇とも考えられます。

2番塔

構成:基礎石・梵字入り塔身・第二基礎石・塔身・須弥壇・梵字入り第二塔身・笠・相輪

3番塔

構成:基礎石・蛇腹模様入り塔身・須弥壇・第二塔身・梵字入り第三塔身・笠・相輪。

4番塔

構成:基礎石・塔身・須弥壇・伏鉢・請花・円筒形塔身・五輪塔笠・相輪

5番塔

構成:基礎・塔身・第一笠(※)・梵字入り第二塔身・第二笠・相輪
※ 須弥壇ではなく、露盤があるので第一笠とし、二重宝篋印塔と考えます。

6番塔

構成:基礎・塔身・須弥壇・伏鉢・請花・円柱塔身・五輪塔笠・相輪

7番塔

構成:祖塔と同じ須弥壇型で、基礎・塔身・須弥壇・伏鉢・請花・円柱塔芯・五輪塔笠・相輪
紀年銘
 応永三十一年(1424年)
 圓忠(長尾景房:鎌倉長尾氏の当主で長尾景仲の養父)
 八月十四日逝

8番塔

構成:基礎・第一塔身・第二塔身・須弥壇・笠・相輪
紀年銘
 昌賢(長尾景仲:関東管領上杉憲実に仕え、「東国不双の知恵者」と呼ばれました。景春の祖父)
 寛正四年(1463年)
 十月八日
※ 長尾景仲の供養塔は通常の宝篋印塔です。

9番塔

構成:基礎・塔身・須弥壇・伏鉢・請花・円柱塔身・五輪塔笠・相輪
紀年銘
 主泉(該当人物はわかりませんが、主泉と彫られているように思われます)
 〇〇〇〇
 〇月〇

10番塔

構成:基礎・塔身・須弥壇・伏鉢・請花・円柱塔身・五輪塔笠・相輪
紀年銘
 伊玄(長尾景春:景仲の孫。長尾景春の乱を起こすも叔父太田道灌に鎮圧される)
 永正十一(1514年)
 八月二十四日(戦乱の時代72歳と結構なご長寿でした)

11番塔

構成:基礎・梵字入り塔身・須弥壇・伏鉢・変形請花・球状塔身(※)・五輪塔笠・相輪
※ 扁平な球状の塔身部は五輪塔由来のものに置き換えられているかも知れません。
紀年銘
 明岩(白井長尾家6代目当主長尾景英)
 大永七丁(1527年)
 二月五日

12番塔

構成:基礎・塔身・須弥壇・伏鉢・円柱塔身・伏鉢(※)・五輪塔笠・相輪
※ 場所を違えて請花が上下反対向きに入っている可能性があるかも知れません。
紀年銘
 道興・道凞(と読みましたが、該当人物不明)
 文安三年(1443年)
 二月十九日

13番塔

構成:基礎・塔身・須弥壇・伏鉢・梵字入り球状第二塔身(※)・五輪塔笠・相輪
※ 11番目塔と同じで球状の塔身部は五輪塔由来のものに置き換えられているかも知れません。

14番塔

構成:基礎・塔身・須弥壇・球状第二塔身(※)・五輪塔笠・相輪
※ 11番・13番塔と同じで球状塔身は五輪塔由来かも知れません。
記銘
 妙温(と彫られているように思います。女性でしょうか?)

15番塔

構成:基礎・塔身・笠・相輪
※ 「基礎・塔身」と分類しましたが、両方とも塔身のように思えます。積み直があったならば、誤積みしているかも知れません。

16番塔

基礎・基礎・塔身・笠・相輪
※ 基礎が2段になっています。積み直ししているならば、誤積みがあるかも知れません。

17番塔

構成:基礎・塔身・笠・相輪



考 察
 白井長尾氏墓所の宝塔は、須弥壇があるものは円筒形塔身・五輪塔笠で、その上に相輪を配しています。須弥壇型宝篋印塔の参考例として一方、宗本寺のものと比較してみます。

(宗本寺の須弥壇型宝篋印塔:1344年康永3年)

 構成:基礎・須弥壇・塔身・笠・相輪

 渋川市の解説板では祖塔は「宝篋印塔」、その他は「供養塔」と表記しています。ただ、祖塔と同じ構成のものがあり、基本的には全て宝篋印塔と分類していると思われます。
 本稿の参考にした綾さんのブログではこの墓地のほとんどを須弥壇式宝塔とし、長尾景仲の供養塔(8番塔)のみ宝篋印塔と分類しています。解釈の分かれるところですが、本稿では宝塔として分類します。
 積み直しされているので信頼性は低くなりますが、白井長尾氏墓所では異形宝塔(須弥壇型異型宝塔・須弥壇型二重異型印塔・三重宝塔など)が盛んに造立されていたと思われます。県内の同時代の墓所で、このような異型宝塔をまだ見ていません。また、須弥壇型石塔は群馬県と埼玉県北部にのみ見られますが、これだけの数が集積している墓所は他にはないと思われます。
 17基のうち、15基は白井長尾氏のものと考えられていますが(渋川市掲示板)、白井長尾氏のものではない2基はどれなのかが分かりませんでした。

参 考
鉢形城歴史館:長尾景春と鉢形城
綾のブログ:北関東の石造物⑥:空恵寺宝塔群(白井長尾氏の墓所)

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