宗本寺の須弥壇型宝篋印塔:群馬県中之条町

群馬県

 宗本寺(中之条町下沢渡)の須弥壇型宝篋印塔。

 解説板では勾欄付き宝篋印塔としていますが、この稿で同じ意味では須弥壇型宝篋印塔という用語を使います。また、解説板では吾妻川沿岸だけに見られるとしていますが、利根川・吾妻川・四万川の流域に見られるというもの、埼玉県北部から群馬県内でみられるとするものなどあります。
 いずれにしろかなり限定された地域でのみ認められる異型宝篋印塔です。

 高さ 202cm。

 一般的な宝篋印塔は、

(上富田町文化財教室シリーズよりお借りしました)

 こんな形で、

 須弥壇(勾欄)がありません。

 基壇にはなかなか読み取れませんが、以下のように刻まれているそうです。
上野国吾妻庄河戸村内山田住人
大檀那四郎二郎入道 奉造立塔也
右志者為過去慈父悲母之幽儀
乃至法界衆生平等利益也
康永三年甲申卯月上旬
大檀那四郎二郎入道

亡くなった父と母を供養するため、そしてこの世に生きる人々が等しく利益を得られるように願って上野国吾妻庄の河戸村の山田の住人で大旦那四郎次郎入道が造立した塔である。
康永3年(1344年)甲申(きのえさる)4月上旬 大旦那四郎二郎入道

 大檀那の四郎二郎が出家し、父母の追善と人々の幸福を願って造立したものです。

 向かって右側の塔。

 高さ 175cm。

 康永二二(※)年乙酉卯月十九日、大檀那沙弥道善敬白

 こちらは、1345年(康永4年)乙酉(きのとり)4月19日に在家信者の大檀那道善によって造立されました。

考 察
 この2基の須弥壇型宝篋印塔は1344・45年に造立されました。一方、宗本寺はその50年後の1394年(応永元年)に創建されました。宝篋印塔が当時から移動されていなければ、宗本寺の前身となる寺が当地にあったのだろうと思います。
 その寺に河戸村山田の大檀那四郎二郎が出家して康永3年塔を建て、翌年在家信者の大檀那沙弥道善が康永4年塔を建てた。四郎二郎の3年塔の方がやや大きいので、道善は四郎二郎に遠慮してやや小ぶりな塔を建てたのではないかと想像します。
 現在でも宗本寺より少し四万川を下ると山田という地区があります。その山田を含む範囲に当時は河戸村があったのでしょう。
 他に私の知る須弥壇型宝篋印塔は、高崎市西横手町公民館前の明徳元年(1390年)塔、金蔵寺(渋川市)の康永2年(1344年)塔と、1400年代に入ってからの白井長尾氏(渋川市空恵寺)塔、興禅寺の応永34年(1427年)塔といずれも室町時代のものがあります。また、年銘がありませんが鎌倉時代と推測されるものが太田市長楽寺塔にあります。

※ 二二年は4年という意味で使われています。康永四年は1345年。

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