二十二夜塔と念仏〇:群馬県吉岡町

明治時代以降

 吉岡町の墓地にある二十二夜塔。全国的には、二十三夜塔が最も一般的に認められますが、二十二夜塔は埼玉県の北西部から群馬県の中西部域に分布しています。
 高さは基礎を含めて3m以上ある、大きなものです。

 台石に女人講。二十二夜講は女性の講でした。

塔身に如意輪観音、

二十二夜講塔、

 1900年(明治33年)の造立、

 軒天には垂木が彫られています。

 台石には9人の女性名が彫られています

考 察
 二十二日の夜に勤行という大義名分を得て講の9人が家事から解放されて集い、料理を持ち寄り会話を楽しみました。
 上州は「かかあ天下に空っ風」と言われ、家庭内での女性の力が強かったと言われます。程近くに養蚕業の発展に大きく寄与した馬場茂久(1663~1718年:1712年に『蚕養育手鑑』を著す)の墓があります。現金収入を得る有力手段の養蚕は女性が中心的に活躍していましたから、家庭内での力が強かったのはそのためかも知れません。この立派な二十二夜塔を建てる財力が9人にはあったという事だと思われます。

追 補
 女人講塔と同じ墓地に念仏〇があります。造立年代は分かりません。

 最後の字が読み取れません。
 葬儀の折僧侶が経文帳を置くとか、供養のために経本を安置しておくとか何らかの機能があったのでしょう。

 祠全体に窪みがあるのは、ご利益を求めて墓地をお参りする人や往来人が削り取ったためと思われます。

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