南北朝時代(永和22年、1396年)の石造多宝塔(市指定文化財)がこの山門をくぐってすぐ左手にあります。

【覚動寺は乗明院の末寺であったが明治時代に廃寺となり、後に跡地は昭和大橋の建設地となった。廃寺にともない覚動寺にあった宝塔は乗明院に移設された。南北朝時代の永和4年(1378)の銘がある。】(前橋市HP:下川渕カルタ)

西面のこちらが正面。相輪は欠けています。

基礎に文字が刻まれていますが、読み取れませんでしたので、石塔と石仏!HPより【法身常住妙躰多宝石塔一🔳」「如説修行諸徳三昧勤修名帳」】と彫られ、16人の法名が並んでいるそうです。
解釈私案
法身常住妙躰・・・仏は永久に常にこの世にいる。それが絶対の真実。
如説修行諸徳三昧勤修名帳・・・仏が説いた通り修行し徳を積んだの者の名前を記します。

南面に【「永和二二(四)年戊午三月二十一日」「大勧進本願口賢」】と刻まれ、約30名の法名が彫られているそうです。
解釈私案
大勧進本願🔳賢・・・願いが叶ったので覚動寺にこの多宝塔を寄進をします。

東面。山門をくぐってすぐ左手に見えるのは裏面になります。

北面(と西面)

軒裏には2段の垂木。
解釈私案まとめ
私たち覚動寺の在家信者約50人が仏の教えのもと一心不乱に修行し徳を積んだので仏法の加護を確信している事、覚動寺の繁栄を願い寄進した証として、この多宝塔に名前(法名)刻み奉納します。
追 補
常明院魚游寺を訪れたら、敷地の佇まいも見学していただきたい。

四周を堀で囲み、

寺院の背後には土塁らしきもの。

グーグルマップで上空から。中世環濠館跡かも知れません。
環濠館跡に常明院が移転してきたのか、常明院自体が武装寺院だったのか?

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