概 要
徳治三(1308)年銘がある安養院の宝篋印塔(国指定重要文化財)は鎌倉市最古で二重基礎で2窓の格狭間を持つ関東型宝篋印塔成立初期のものです。
善導寺(浄土宗:廃寺)のあった場所に長楽寺(真言律宗:廃寺)が合寺され安養院(浄土宗)となった経緯から、善導寺の遺構と考えられています(参考①②)。加えて、善導寺開祖尊観の逆修供養塔とも伝えられています。
しかし、忍性(真言律宗)の鎌倉布教に随行した石工心阿の銘がある事から、長楽寺由来の可能性が高いのではないかと考察しました。
安養院につて

現在の安養院の場所にはもともと善導寺(浄土宗)がありました。後に、頼朝の菩提を弔うために政子が開いた長楽寺(真言律宗)が1333(元弘3)年の新田義貞による鎌倉攻めで焼失し、善導寺のあったこの地に合寺され、安養院(浄土宗)となりました。その後また焼失、田代寺の建物を移築し、関東大震災の倒壊を経て、現在の建物は昭和3年に建てられたものです(参考②)。
安養院は北条政子の法名を寺号にして、隠居寺かと誤解が生じやすいですが、政子は1225年に亡くなり、安養院は鎌倉時代末期以降の創建です。
徳治三年銘宝篋印塔


結縁衆之 名字所奉造立如件 徳治三季申戌七月日

大工沙弥心阿 大檀那沙弥観杲

高さ3.3m。相輪は後補。隅飾突起は前面左方に1か所残るのみ。
二重の基礎はそれぞれ輪郭二区になって、関東型宝篋印塔の特徴を持っています。
下段の基礎には以下の銘があります(参考③)。
東面:□慶□□塔婆 観上人之
西面: 結縁衆之 名字所奉造立如件 徳治三季申戌七月日
北面:大工沙弥心阿 大檀那沙弥観杲
箱根の伝多田満仲墓(心阿も関わりあり)と並び、関東型成立初期の宝篋印塔とされています。
元は境内別の所にありましたが、関東大震災で崩れ、現在地に積み直されました。
鎌倉時代から南北朝時代にかけて活躍した武士観杲が中心となり、人々(結縁衆)を募って当時一流の石工心阿に造らせた関東型宝篋印塔です。
考 察
善導寺(浄土宗)と長楽寺(真言律宗)との合寺は新田義貞による長楽寺焼失(1333年)以降ですから、合寺前から善導寺にあったと考え、加えて開祖尊観(1239~1316年)の逆修供養塔の言い伝えもある事から、旧善導寺の遺構と考えられています(参考①②)。
ところが、石工沙弥心阿と彫られています。大和西大寺から布教・弱者救済活動で鎌倉に入った忍性(※)に随行した高名な僧形(沙弥)の石工です。宗派的には、長楽寺境内に徳治三年銘宝篋印塔は立てられ、1333(元弘3)年の焼失後、合寺に合わせ安養院境内に移設されたと考える事も出来ると思われます。
※ 極楽寺に国重文忍性菩薩五輪塔が有ります。造立年は不明ですが、1303年に亡くなっており、安養院宝篋印塔より少し古いかも知れません。この五輪塔も心阿が立てたと推測されています。
参 考
① 文化財建造物保存技術協会:重要文化財「安養寺宝篋印塔保存修理工事報告書」、安養院、P1980。
② 鎌倉市:「鎌倉市歴史的風致維持向上計画」第1章鎌倉市の歴史的風致形成の背景、P40 、2026年6月19日アクセス。
③ 鎌倉市教育委員会:「鎌倉国宝館図録」第10集(鎌倉の石塔)、安養院宝篋印塔、1962年。
④ 尾道市:「尾道の歴史と遺跡 中世編」Ⅳ 中世寺院と石造物、2026年6月19日アクセス。
※ ①②は国会図書館デジタルコレクション。


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