概 要
十日町市から松之山町に向う途中の山深い所にある、地名の通りすり鉢状の斜面に民家がへばりつくように並ぶ(結構大きな集落です)鉢の集落の外れに、鉢の石仏(市指定文化財)はあります。
江戸時代の中頃諸国布教の折、この地を通りかかった大阪・陰凉寺6世住職の明屋有照(みょうおくゆうしょう)禅師が野宿していると、木々の合間からの「天燈」照らしだしている奇妙な石に感じ入るものがあり、その石を本尊に仏教の修行場を開きました。
閉山後も人々に信仰を集め、鉢の集落の人々に守られて、現在に至ります。
鉢の石仏

工事は1750(寛延3)年から1762(宝暦12)年まで続き、十三仏などの石塔群、弁財天・竜天・白山・稲荷、座禅堂、照利庵が作られました。
有照禅師とその弟子が亡くなった後も、十六羅漢・百庚申などの石塔が造立されました。


十三仏供養塔。


明屋有照禅師と弟子の墓。

十三仏・・・本尊と合わせ、鉢の石仏の中心をなす石仏群です。
十三仏の名前を唱えると初七日から三十三回忌までの追善仏事を一度にまとめて済ませられるとの民俗信仰によるもので、室町時代頃成立し江戸時代に流行りました。
この写真には十二仏と本尊が写っています。不動明王は本尊・十二仏と対面するように安置されています。

十三仏は通常手前から左右左右と、不動明王・釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩・・・虚空蔵菩薩のように配置されますが、この十三仏は上図(資料①)のように配置されています。この配置にどんな意味があるのかは調べられませんでした。

本尊・・・明屋有照禅師が感じ入った、木々の合間からの光が照らしだしていた奇妙な石は、本尊としてこの石郭で保護されています。牛の寝そべった胴体上に高さ1m弱の三角錐状の突起を持つ石です。その突起には縦に一筋窪みができています。
その形状から女陰石とも思われますが、古老によれば昔は筋は無く参拝する人々が削り取っていったためにできたとも言われます(参考②)。

本尊・十二仏と対面する形で不動明王が鎮座しています。

中山富士。頂上には仏教の守護神、弁財天を祭る石祠。境内には他に竜天、白山、稲荷の石祠が安置されています。

中興供養塔。その背後に見える屋根は座禅堂(再建)。

座禅堂内には明屋有照禅師と思われる木像が座禅を組んでいます。座禅堂は1畳もない大きさです。


照利庵(再建)・・・石仏造立開始(1750年)から2年経った1752年、明屋有照禅師の館とすべく鉢集落の協力で建てられました。ご神体(神仏習合)と禅師の遺物があります。禅師は10年間照利庵に住み、石仏群を作り、座禅を組んで過ごしました。
閉山後も

百庚申、

十六羅漢が造塔され続けました。


敷地内には削平されたと思われる土地が残っています。禅師にはもっと壮大な計画があったのかも知れません。
資 料
① 十日町市史編さん委員会:とおかまち市史リポート第7、P212-215、1993年。
② 吉田郁生:越後の性神・風神その他、吉田ふじ、1986年。


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