嶋田家宝篋印塔(須弥壇型宝篋印塔・総持寺):埼玉県長瀞町

埼玉県

概 要
 埼玉県北部から群馬県の利根川流域(支流の鏑川・烏川・吾妻川を含む)に特徴的にみられる須弥壇型宝篋印塔(二重宝篋印塔)と呼ばれる形式のものです。
 本稿では埼玉県長瀞町総持寺にある島田家宝篋印塔(須弥壇型宝篋印塔)を紹介します。

嶋田家宝篋印塔(町指定文化財) 

(左塔東面)

 基礎に文字が刻まれていますが、風化と割れで判読しにくい状態です。
 四周には以下のように刻まれています(参考①②)。
北面 大日本国武蔵州
   秩父郡白鳥郷
東面 下野村住嶋田
   弾正忠満吉
南面 逆修功徳主
   渓岫宗泉禅門
西面 旹天文五年丙申

(右塔東面)

北面 逆修継芳禅女
   天文五年丙申十二月

考 察
 下野村に在住する渓岫宗泉禅門(嶋田弾正忠満:左塔)とが、継芳禅女(右塔)が天文五年(1536年)に建てた逆修(生前供養)塔で、共に下部から基台・基礎・初層塔身・初層笠(須弥壇・中台)・二層塔身・二層笠・相輪という形状を持つ、埼玉県北部から群馬県の利根川流域に特異的に分布する須弥壇型宝篋印塔(二重宝篋印塔)と呼ばれる形状をしています。
 万福寺(長瀞町)にも1483年の須弥壇型宝篋印塔、1383年の須弥壇をもつ多層塔があります。

 10㎞程歩けば藤岡市鬼石町がありますから、当時も経済交流・文化交流が盛んにおこなわれていたのでしょう。
 本稿須弥壇型宝篋印塔はほぼ同型が2基並び、造立年も同じ1536年(天文5年)です。戦国時代のさ中で、京都では天文法華の乱(天台宗と法華宗による日本最大の宗教戦争)で町の半分が焼かれました。渓岫宗泉禅門(嶋田弾正忠満)・継芳禅女夫妻は来世の安寧を信じる事により戦乱の現世での心の安寧を得たかったのでしょう。
 興味深いのは「大日本国」と彫られている事です。大宝律令(701年)で日本国が使われていますが、これは外国に出す文書の書式として使われる規定です。各地にはもっと古い大日本国・日本国があると思われますが、外交を意識していないと思われる石造物で大日本国・日本国が使われているのは菅見では初見です。

参 考
① 石仏と石塔HP:総持寺二重宝篋印塔 南塔
② 石仏と石塔HP:総持寺二重宝篋印塔 北塔 

関 連
・長楽寺宝塔(国重文):群馬県太田市
・白井長尾氏歴代墓所・須弥壇型宝塔群(空恵寺):群馬県渋川市
・宗本寺の須弥壇型宝篋印塔:群馬県中之条町
・須弥壇型宝篋印塔・三原田の宝篋印塔群(興禅寺):群馬県渋川市
・徳川家が検分使をよこした須弥壇型宝篋印塔(金蔵寺):群馬県渋川市
・明徳元年在銘須弥壇型宝篋印塔:群馬県高崎市

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