概 要
文明の石幢12年(1480年:同聚院)は龕部に六地蔵・施主と思われる女性6人の名前が彫られています。追善供養・逆修供養いずれかは不明ですが、戦乱の時代に極楽御往生を願って建てたものと思われます。嫡子・庶子間で最も優れた者1人が単独相続する室町時代は女子への相続は基本的に無かったはずです。
この六地蔵石幢には上流階級が名乗る漢字成人女性が彫られています。庶民階級では墓は無いかあっても土饅頭に川原石の時代に、六地蔵石幢を立てられるだけの経済力を持つ女性たちがいたことを示しています。
六地蔵石幢(市指定文化財)
六地蔵は、病疫や悪霊を防ぐ守りとして、村境や辻、寺や墓の入口などに置かれます。仏教は本来悟りを開くもので供養のためのものではありませんが、極楽往生を願う民衆の願望を満たすために日本仏教(以後仏教)は供養を重視するように変化しました。
仏教では人が死ぬと「六道の辻」で地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道の行く先が振り分けられるとされ、六地蔵は六道における苦しみを救う各地蔵菩薩を指します。その六地蔵を龕部に彫った石幢です。


同聚院の六地蔵石幢は1480年(文明12年)に立てられました。室町幕府8代将軍義政の時代で、応仁の乱から戦国時代へ移り行く時代です。
笠部に宝珠がありませんが、高さ154cm。
この六地蔵石幢の特長は6角柱の各面に地蔵と地蔵の左側に人名が彫られています。

妙秀・・・法名でしょうか。

千代・・・富裕層では漢字の女性名だったものと思われます。

妬子・・・トシか? 妬(ねたむ)という悪字を使っていますが、豊臣秀吉が子供に「棄」名付けたようにと、「負のイメージを呼び起こす要素を名前に組み入れることで、子供を悪霊などから守ることができできる」という信仰からつけられたのでしょう。
身分の高い成人女性名に使われる「子」(参考②)が入っています。

妙薫・・・法名でしょうか。

聖江・・・セイコウ(法名)かキヨエ(女性名)か?

又亐・・・ユウウ? 参考③では「又方(ユウホウ)」と読んでいます。法名か成人名か?

文字が薄れて読めませんが、文明十二年庚子十月十六日と彫られています。
考 察
応仁の乱から戦国時代へ突入した、戦乱の真っただ中の時代に女性6人によって造立された六地蔵石幢です。いつ命がなくなるか、生活基盤がなくなるか分からない時代で、しかも宗教が力を持っていた時代ですから、観音菩薩の救済を切望したのでしょう。
6人の女性は法名と思われる2人、法名か成人女性名か不明な2人、成人女性名と思われる2人が混在していました。
富裕層の成人女性は漢字名を名乗っていたと考えられます。ちなみに、江戸時代ですが一般農民の女性は仮名が一般的でした。

女性名は全て仮名(寺請制度下で非常に珍しい実名墓)
鎌倉時代の武家は「惣領制+分割相続制度」で女性にも相続権がありました(参考③)が、室町時代は嫡子・庶子間で最も優れた者1人が単独相続、女子への相続は制約されました。しかしこの6人は石幢を立てられるだけの経済力があった事がわかります。
参 考
① 伊勢崎市:伊勢崎市史 通史編 1 (原始古代中世)、P759ー761、1987年。
① Robert Gross:今昔の日本命名に見られるパターン。秋田大学日本語・日本文化研修論文。
② かもめ総合司法書士事務所:日本の相続制度の変遷。

コメント