足利義氏の墓(足利家三代目当主・法楽寺):栃木県足利市

栃木県

 源姓足利氏3代当主足利義氏は北条政子の妹時子が母親で、自身の正室も北条泰時の娘を迎えるなど、鎌倉北条氏とかなり強い結びつきがありました。足利尊氏の5代遡った先祖にあたります。
 承久の乱では後鳥羽上皇軍を破るなどの功績がありました。国宝鑁阿寺を建てたのも義氏です。

 その義氏の墓(市指定文化財)が法楽寺にあります。1241年(仁治3年)53歳で出家し、隠居寺として1249年法楽寺を建てました。1255年(建長6年)に66歳でなくなりました。

 解説板には次のように書かれています。
「五輪塔や宝篋印塔の部分が数多く並ぶなかひときわ大きい五輪塔が義氏の墓所と伝えられる。・・・(以下五輪塔の説明)・・・これは鎌倉期のものと思われる。」
 この掲示板から考えれば小塚に埋葬されその前方に五輪塔が立てられたと理解しますが、かなり近年に建てられたものと思われます(理由は考察で述べます)。

 五輪塔の背後にある円墳状の小塚は現在は石垣と葺石(共にコンクリート)で整備されています。

 足利義氏の戒名は法楽寺殿正義大禅定門。

考 察
 「足利義氏墓所整備計画」みたいなものがネットにあがっていないか検索したのですが、みつかりませんでした。したがって、根拠となる資料は無い事を断ったうえで、考察します。

小塚と石垣について
 築造当時①版築や漆喰で小塚を固めていたか? ②版築や石灰に葺石を混ぜていたか? ③単なる土の山だったのか? 不明ですがいずれかでしょう。しかしいずれにしても長い年月の間に壊れてしまい、小塚さえなくなっていたかも知れません。
 傾斜地のふもとにあり風雨による小塚の土の流失が考えられるので、当時も土留めの石垣を積んでいたかも知れません。

 小塚の脇にコンクリートの段が見えます。整備時に流失に配慮したのでしょう、
 
五輪塔について

北条泰時の五輪塔(鎌倉手帳HPよりお借りしました)
 鎌倉常楽寺にある義父北条泰時の五輪塔(一部)と比較すると、石工の技術に大分差があります。

 次に、栃木市の金剛寺を開いた長沼秀宗の母親(1457年没)の五輪塔と比較しても、200年後に建てられた金剛寺の五輪塔の方が石質・笠の反り・水輪の球形の真球さ具合で古めかしく見えます。ですから義氏のものとされる五輪塔は鎌倉時代のものとは考えにくく、かなり近年のものと推測します。

 この五輪塔には年銘が刻まれていません。

 義氏の五輪塔とされるものがあるならば、付近に集められたこれらの中のいずれかであろうと思います。

解説文について
 小塚について、コンクリートで覆う前にどうなっていたかを解説して頂くと良いと思われます。
 小塚前中央の五輪塔について、義氏の時代のものとは考えにくく、確たる証拠がなければ「モニュメントとして設置した」等にした方が良いように思われます。
 

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