安養寺の宝塔(鎌倉時代の宝塔):群馬県高崎市

群馬県

概 要
 高崎市HPでは、【台石には大永元年(1521)か天正9年(1581)のいずれかに判読できる銘があります。塔身の形状は上部のくびれがほとんどなく、全体は卵形で笠石はそりもなく直線的で、切り口も厚く垂直で、室町初期あるいは鎌倉時代の様式を持つ質朴重厚なつくりです。】
とあります。
・大永元年(1521)か天正9年(1581)は戦国時代。
・塔身は室町初期あるいは鎌倉時代の様式。
 この一見矛盾する解説文をどう読むか、宝塔を比較しながら考察します。同時に、安養寺の宝塔の土台と笠・塔身は別物で、笠・塔身は鎌倉初期のものと推測しました。

安養寺の宝塔(市指定文化財)

 以下、安養寺の宝塔の造立時期を探るために、高崎市の宝塔を年代順に遡り、安養寺の宝塔と比較します。
 高崎市HP【安養寺跡の宝塔は本郷町字寺内にある高さ220センチの大きな宝塔で、台石には大永元年(1521)か天正9年(1581)のいずれかに判読できる銘があります。塔身の形状は上部のくびれがほとんどなく、全体は卵形で笠石はそりもなく直線的で、切り口も厚く垂直で、室町初期あるいは鎌倉時代の様式を持つ質朴重厚なつくりです。】
 さて、この宝塔はいつ頃の造立なのか? 戦国時代? 室町初期or鎌倉時代?

比較用宝塔

後疋間の宝塔 右1446、左1449年。中央は江戸時代の石殿。

楽間の宝塔 左1437年、中央1443年、右1430年。

町屋の宝塔 1439年。

万福寺の宝塔 1421年。

塚の越の宝塔 1417年。

菅谷大壱寺の宝塔
左端 1343年(3基の比較より推測)、中央 1393年(明徳四の記銘あり)、右端 1383年(3基の比較より推測)

安養寺の宝塔(再掲)
 安養寺の宝塔のみ笠の反りが見られず(橙線部)、四隅が垂直に下がっている(緑線部)点と、台石の上部の盛り上がり(黄色四角部)が、他の宝塔には認められません。

考 察
 安養寺の宝塔、比較例の宝塔共に全て榛名山東麓の高崎市内のものですから、地理的な違いは考慮しなくて良いと思われますが、その上で、
塔身・笠・・・笠の反りが安養寺の宝塔のみ見られない事、塔身の形が卵型であり比較例では全て壺型(榛名型宝塔)である事を考えると特異で、比較例より本郷安養寺の宝塔は素朴で古いように思います。踏み込めば、比較例中最古の菅谷大壱寺の左端1343年塔より古い可能性もあると思われます。
台石・・・比較例のどの宝塔も台石の上面は平らでしたが、本郷安養寺の宝塔の台石上面(黄色い部分)は盛り上がりがあります。
 つまり、もともと台石と塔身は別物で、【大永元年か天正九年】と彫られた戦国時代の台石に、鎌倉後期から南北朝時代初期の塔身を乗せたと考られそうです。
 高崎市HPの解説は事実を述べていますが、そこからは安養寺の宝塔の造立時期が誤解されてしまいます。塔身とは台石は別物である事を述べる必要があると思われます。

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