日吉塔・深田の宝篋印塔(彩色された塔身部に蔵経洞を持つ:国重文・特別史跡):大分県臼杵市

大分県

概 要
 国宝臼杵石仏守護寺満月(まんがつ)寺の宝篋印塔です。記銘年はありませんが鎌倉時代末期に造立されたと考えられています。彩色された塔身部に蔵経洞を持つ日本一の高さの宝篋印塔です。

日吉塔の特徴
 中国の八万四千塔を原型とし、日本に伝来した塔に宝篋印陀羅尼教が納められていたことから、宝篋印塔という名称で独自に発展し主に供養塔・墓石として造立されました。
 本稿の宝篋印塔は満月寺の守護社である日吉社に因んで「日吉塔」と呼ばれてもいます。

 満月寺の宝篋印塔は総稿4.5mと日本一の高さを持ち、塔身部はベンガラと胡粉、その他は胡粉により彩られています。

 塔身部の4面に梵字を刻むものが多いのですが、日吉塔は不明です。阿蘇溶結凝灰岩という軟質石材のため風化したのか、もともと刻まれていなかったのか不明です。多分輪郭を浮き彫りしただけで素地だったのではないでしょうか。

 二重の輪郭が浮き彫りされた隅飾は別石で作られています。

 蔵経洞は観音開きになって、内部床面に孔が穿たれています。
 満月寺護持のための経典をこの中に奉納していたものと思われますが、孔は何のためにあるのか? 排水の為か?

 格狭間が2連の蓮型を印刻する関東型であり、この形状は水地九重塔(1267年:臼杵市野津町)と同様であることから、13世紀後半の造立と考えられています(解説板)。

 菊田徹別府大学教授(元臼杵市歴史資料館館長)は、満月寺五重塔(1315年)格狭間と非常に似ているので、14世紀初頭と考えています。
 なお、日吉塔は造立時から同じ場所に所在している点でも貴重です。

感 想
 日吉塔は特に以下の2点で特異であると思われます。
塔身に蔵経洞を持つ・・・宝篋印塔は本来は蔵経塔のはずですが、実質的には供養塔・墓石として広く分布しています。また、蔵経塔である場合も、下の河原畑諏訪神社の宝篋印塔(1829年:群馬県長野原町)のように基礎部に収めるものがほとんどです。
 塔身部に蔵経洞を設けたものは他に知りません。

彩色されている・・・塔身部はベンガラと胡粉、その他は胡粉で彩られているますが、彩色されたものは他に知りません。




資 料
菊田徹:臼杵市深田の宝篋印塔(日吉塔)の造立年代についてー島周辺発掘調査の成果からー。史学論叢 25巻,p.46- 56,1995.



コメント