概 要
インドや中国、朝鮮に類似の造形物は現存しないことから五輪塔は日本独自のものと考えられ、墓・供養塔として平安時代後期頃から造立されるようになりました。紀年銘のある石造五輪塔の最古は中尊寺釈尊院のもので1169年(仁安4年)、本稿の嘉応塔が1170年(嘉応二年)、承安塔が1172年(承安2年)で、記銘年があるものでは2・3番目に古い五輪塔です。

国宝・臼杵摩崖仏のホキ石仏1群から上り坂を少し登ると国重文・特別史跡のダブル指定を受けている中尾五輪塔に着きます。

左嘉応塔(1170年)で高さ151cm、右承安塔(1172年)が104cm。
嘉応塔




国宝・臼杵石仏と同じ阿蘇溶結凝灰岩製の一石五輪塔(塊から削り出した石五輪塔)です。地輪北面に「嘉応弐年 歳次 庚虎」「七月二十三日」と彫られています。
承安塔



こちらも阿蘇溶結凝灰岩製の一石五輪塔。水輪下部に割れた跡があります。地輪北面に「千部如法経願主遍照金剛」「承安二年歳次壬辰八月十五日日次辛亥」。
考 察
中尾五輪塔のすぐ麓に彫られた国宝・臼杵摩崖仏は平安時代後期から鎌倉時代まで彫られ続けました。資料がなく確かな事は判りませんが、位置関係から摩崖仏造立者との関係が推測されているようです。藤原摂関家の一流九条家(平安京在住)の荘園内に摩崖仏と摩崖仏を守護する天台宗満月寺が作られたことを考えると、満月寺住職或いは荘官の墓とかが推測されているのでしょう。うすきめぐりHPによると古くは「聖塔」と呼ばれていたそうで、満月寺住職の墓を想像させます。
摩崖仏より上から満月寺と浄土庭園を眺められる場所(下図)に、満月寺住職の墓(嘉応塔)を建て、故人を供養するために千部写経した如法経(※)を承安塔(の地下或いは付近にあったかもしれない収蔵庫)に収めたという事なのかと考えました。法華経は天台宗の根本経典ですし。
※ 如法経:如法経とは、如法に経を書写するの意で、法華経又は法華三部経等の経を書写供養し、これを名山或は墓辺等に埋置する行事をいう(若狭小浜のデジタル文化財)。

中尾五輪塔・摩崖仏群・浄土庭園(現臼杵石仏公園)・満月寺の位置関係
関 連
平安時代の五輪塔
・平安時代末期の岩法寺石造五輪塔(国重文):福島県玉川村

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