臼杵摩崖仏(国宝):大分県臼杵市

大分県

由来1(昔話)
 昔々深田という所に真名野長者というお大尽さんがおりました。長者には般若姫という美しい姫がおりました。その姫の噂は都にまで届き、時の皇子(後の用明天皇)に輿入れすることになりました。姫は都へ上るため、船で瀬戸内海を進んでいたところ、周防灘で嵐に遭い難破してしまいました。長者は姫を弔うため、中国から蓮城法師を招いて臼杵深田の里に満月(まんがつ)寺を開き、磨崖仏を造りました。

由来2(解説板)
 平安後期この地に藤原摂関家一流の九条家が臼杵荘を所持していました。九条家は比叡山延暦寺と深い関係があって、招聘した一流の仏師が摩崖仏を造立し、同時に摩崖仏を本尊とする天台宗の大寺院満月寺が開かれました(下掲解説板)。


解説板と昔話から想像する事
 定朝様式の仏像であることや隣接の丘にある五輪塔2基(中尊寺釈尊院の五輪塔に続き、日本で2番目3番目に古い、嘉応2年・承安2年の紀年銘がある)などから、平安時後期から鎌倉時代初期にかけて次々と彫られたものと考えられています。
 九条家が天台宗の高僧と仏師をこの地に送り、満月寺を開き、摩崖仏を彫らせたのでしょう。現世の救済は諦めて来世の極楽浄土を願う思想が広まっていた時代で、臼杵荘に住む人々が仏の加護を受けて、極楽往生できるよう祈りを込めて造られた摩崖仏群です。
 荘園が崩壊して武士の時代になっても彫られ続けたので、昔話は武士の時代になってできたものかも知れません。その場合大友宗麟の祖能直が1196年(建久7年)に、源頼朝より豊前・豊後両国守護と椿西奉行に任命されているので、大友氏(或いは守護代)が造立したものと思われます

 阿蘇溶結凝灰岩という柔らかい石に彫られており非常に痛みやすく、保存修復工事(1980~1994年)後、1995年国宝に指定されました。61体が国宝指定されています。 
 入園券販売所からホキ石仏(ホキ石仏2群)→堂が迫石仏(ホキ石仏1群)→山王山石仏→小園石仏というコースで見学できます。途中、堂が迫石仏(ホキ石仏1群)から山道を少し登った所に上記の中尾五輪塔(嘉応塔・承安塔)2基があるので、見学されてみるのはいかがでしょう。

※ ホキ
崖や切り立った斜面を意味する古語および方言(小字名)で、漢字では「岸險」。

ホキ石仏(ホキ石仏2群)

 至勢菩薩立像・阿弥陀如来坐像・観音菩薩立像。
 後掲の小園石仏の大日如来坐像と共に臼杵摩崖仏を代表する阿弥陀如来坐像。

 柔らかな岩質を利用して丸彫されています。

 かすかに残る色跡から造立当時は華やかに彩色されていたことが想像されます。
※ ホキ (保 木, 保 喜, 堀切, 房木, 仏木, 宝城 な ど)は北部九州地方に残る古語で 「断崖の個所や山腹 の峻しい所の意味。


堂が迫石仏(ホキ石仏1群)

菩薩立像・伝薬師如来坐像・伝釈迦如来坐像・阿弥陀如来坐像・観音菩薩立像。

 薬師如来坐像・阿弥陀如来坐像・伝釈迦如来坐像。
 極楽浄土を表すホキ石仏(ホキ石仏2群)の阿弥陀如来坐像とはだいぶ表情が違い、こちらは過去・現在・未来の過去を表しているそうです。

 台座の穴は奉篭孔(願文や経典を納める穴)のようです。


山王山石仏

大日如来坐像。

金剛力士像。

多門天(毘沙門天)立像。



小園石仏

 大日如来坐像。臼杵摩崖仏の象徴的石仏。

 修復前は大日如来の頭部は崩落し、下に安置されていました。

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