概 略
本稿ではかなり珍しいと思われる石殿(石宮・石廟・ミヤボトケなど呼び方多数)3基を紹介します。左・中央の石殿は高坏のように1本脚で支えられ、このデザインはまだ他所で見たことがありません。同時に3基とも須弥壇状の部分を持つのが特異的で、このデザインも他所ではまだ見たことがありません。
石殿について
戦国時代末期から江戸時代前半期に大名から庶民までに造立され、ほぼ全国的に見られます。地域により廟墓・石堂・ラントウ(藍塔)・ミヤボトケなどと呼ばれます。北関東においては15世紀代には逆修供養を目的とするもの、16世紀以降は先祖供養或いは追善供養の性格が強くなります(参考1)。
例を挙げます。この石殿(群馬県渋川市)は白井長尾氏の重臣飯塚大学(1464年没)の供養塔として1548年に造立されたものです。基礎・本体・笠からなり、本体には石仏が安置されています。


本稿の石殿

本稿の石殿にはいくつか特徴的なデザインがあります。
①左・中央石殿には高坏のような脚部がある事です。

②3基共通して階段状の彫り込みが見られます。階段は前面のみで、左右・背面には見られません。

以上の脚と階段状の彫り込みについては、考察で私見を述べます。
③左・中央石殿の本態側面・背面には塔婆状の模様が彫られ、これは群馬県では時々目にします。笠には垂木も彫られています。


④中央・左石殿には線香立て(或いは花立て)と思われる穴が左右2カ所に空いています。群馬県では1700年前後から散見されます。

3基とも本体内に一石双体仏が安置されています(写真は右の石殿)。

⑤中央:3基中1基のみ戒名と年銘が彫られています。
戒名:圓寂春栄壽慶居士覚位
年銘:干時寶永四年(1707年)丁亥三月十二日
「覚位」は住職(僧)と沙弥(出家修行者見習い)の中間に位置する法師(出家修行者)に付ける位号です。

考 察
①の階段状の彫り込みと脚について・・・群馬県と埼玉県北部では鎌倉・室町時代にかけて須弥壇型宝篋印塔が造立されました。

宗本寺の須弥壇型宝篋印塔(二重宝篋印塔:1343・1344年)は四方に勾欄・階段を持ちます。これはその1344年塔ですが、「基礎・A塔身・須弥壇・B塔身・笠」という構成になっています。
本稿の3基のは勾欄を持たず階段も正面の1カ所だけで、須弥壇と言えるか判然としません。しかし、時を経て須弥壇が簡素化されたとも考えられそうです。そして、そのA塔身が高坏型の脚に変化したのではないでしょうか。
類似の石殿をまだ知りませんので、本稿の2基は高坏型石殿、3基まとめて須弥壇型石殿と仮に命名しておきます(同様なものが見つかればその時名称を変えます)。
参 考
1 立正大学博物館:近世の墓石と墓誌を探る

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