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代官掘・江原源左衛門重久の墓(慈眼寺):群馬県高崎市
概 要 総社藩主秋元長朝は天狗岩用水を開削し農業生産性を大幅にアップさせ、領民から名君と慕われました(力田遺愛碑)。その秋元長朝に触発され、関東代官頭伊奈忠次は江原源左衛門と共に高崎市滝川地区・玉村町にわたる広大な荒れ地に代官掘を開削し農民…
伝隠れキリシタンの墓(慈眼寺):群馬県高崎市
江戸時代の上州では沼田市周辺・藤岡市鬼石地区・上野村(白井地区)などが隠れキリシタンが潜んでいた地区として有名ですが(参考①)、キリシタン大名有馬晴信の娘が初代前橋藩主酒井重忠の次男忠季(徳川家小姓)に嫁ぎ、1611年に京都の神父が前橋藩を…
湯田中温泉の守護仏・平穏弥勒石仏:長野県山ノ内町
概 要 平穏弥勒石仏(ひらおみろくせきぶつ)は、山ノ内町平穏(湯田中温泉)に位置する、平安時代後期大治5年(1130年)の紀年銘を持つ信州最古の石仏で、古くから疫病よけや火難・地震を鎮める神、そして湯田中温泉とかつてこの地に営まれていた朝廷…
常楽寺石造多宝塔(国重文):長野県上田市
概 要 別所温泉(上田市)の常楽寺北向観音本坊(825年創建)の最も神聖な場所、北向観音がこの世に現れたと言われている場所に建っていた木造多宝塔が焼失してしまったため、阿梨頼真によって鎌倉時代の1262(弘長2)年に建立された石造多宝塔です…
井伊家墓所・井伊直孝の墓(国史跡・豪徳寺):東京都世田谷区
概 要 大名家の墓所は以下のようなバラエティがあります。① 江戸時を通して移封されず、同一藩主家の墓が建てられ続ける(会津若松藩主松平家など)。② 国元で亡くなった藩主は国元菩提寺、江戸で亡くなった藩主は江戸菩提寺に作る(彦根藩主井伊家など…

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黒田官兵衛(如水)の墓とキリシタン長政の苦悩:福岡市
黒田官兵衛(如水)はキリスト教葬を希望し、息子長政はキリスト教葬を行いました。しかしその半月後、当時の宗教情勢から福岡藩52万石の太守として江戸幕府に恭順の意を示すために崇福寺墓所に改葬しました。キリスト教葬の様子と改葬墓を紹介します。

前橋藩主酒井家の儒墓群(龍海院):群馬県前橋市
前橋藩主(後姫路藩主)酒井家の墓は初代~3代は仏式、4代~15代は儒式に変化しています。通常は岡山藩池田家や徳島藩蜂須賀家のように仏式は寺院、儒式は寺院外に営まれますが、酒井家の場合、龍海院境内に儒式墓が営まれ続けたという多分日本で唯一であろう形態をとっています。

鵜戸山別当の両墓制様の墓(鵜戸神宮):宮崎県日南市
土葬の時代集落から離れた所に埋め墓、集落内或いは近くに参り墓がある両墓制という墓制がありました。九州では大分県の一部に報告されているだけですが、鵜戸山別当の墓は埋め墓と参り墓が同一墓地内にあるという大変珍しい形態をしています。

平安時代末の岩法寺石造五輪塔(国重文):福島県玉川村
全国に4基ある平安時代造立の五輪塔のうちの1基が岩法寺石造五輪塔(1181年)です。当地を領地とした頼遠→有光→元光→光儀→義季→基光と続く石川氏の誰が誰のために造立したか結論を得ていません。本稿では元光供養塔として基光が造立したとの仮説を提案します。


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コラム

死穢を嫌う神社に仏塔が存在する訳

墓制の歴史的変化

近日公開予定

江戸時代の墓石デザインの変化

近日公開予定