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常楽寺石造多宝塔(国重文):長野県上田市
概 要 別所温泉(上田市)の常楽寺北向観音本坊(825年創建)の最も神聖な場所、北向観音がこの世に現れたと言われている場所に建っていた木造多宝塔が焼失してしまったため、阿梨頼真によって鎌倉時代の1262(弘長2)年に建立された石造多宝塔です…
井伊家墓所・井伊直孝の墓(国史跡・豪徳寺):東京都世田谷区
概 要 大名家の墓所は以下のようなバラエティがあります。① 江戸時を通して移封されず、同一藩主家の墓が建てられ続ける(会津若松藩主松平家など)。② 国元で亡くなった藩主は国元菩提寺、江戸で亡くなった藩主は江戸菩提寺に作る(彦根藩主井伊家など…
井伊直弼の墓・正妻貞鏡院の墓・桜田殉難八士二七回忌碑(豪徳寺):東京都世田谷区
概 要 14代彦根藩主井伊直中の14男として誕生した直弼は、本来ならあり得ない状況の中32歳で16代藩主に就任します。藩政を改革し、幕府内では大老を任され、14代江戸幕府将軍擁立(家茂・慶喜)と開国・攘夷対立の難問に精力を注ぎました。 直弼…
家康長男信康供養塔・服部半蔵正成の墓(西念寺):東京都新宿区
概 要 皇居の半蔵門から30分ほど西に歩くと西念寺(新宿区)があります。 徳川家康の側近で、「神君伊賀越え」の功労者として名高い服部半蔵正成は、家康長男信康切腹の折介錯を命じられますが慟哭のあまりその任を果たせなかったばかりか、慰霊の念を生…
徳治三年銘宝篋印塔(安養院・国重文):神奈川県鎌倉市
概 要 徳治三(1308)年銘がある安養院の宝篋印塔(国指定重要文化財)は鎌倉市最古で二重基礎で2窓の格狭間を持つ関東型宝篋印塔成立初期のものです。 善導寺(浄土宗:廃寺)のあった場所に長楽寺(真言律宗:廃寺)が合寺され安養院(浄土宗)とな…

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黒田官兵衛(如水)の墓とキリシタン長政の苦悩:福岡市
黒田官兵衛(如水)はキリスト教葬を希望し、息子長政はキリスト教葬を行いました。しかしその半月後、当時の宗教情勢から福岡藩52万石の太守として江戸幕府に恭順の意を示すために崇福寺墓所に改葬しました。キリスト教葬の様子と改葬墓を紹介します。

前橋藩主酒井家の儒墓群(龍海院):群馬県前橋市
前橋藩主(後姫路藩主)酒井家の墓は初代~3代は仏式、4代~15代は儒式に変化しています。通常は岡山藩池田家や徳島藩蜂須賀家のように仏式は寺院、儒式は寺院外に営まれますが、酒井家の場合、龍海院境内に儒式墓が営まれ続けたという多分日本で唯一であろう形態をとっています。

鵜戸山別当の両墓制様の墓(鵜戸神宮):宮崎県日南市
土葬の時代集落から離れた所に埋め墓、集落内或いは近くに参り墓がある両墓制という墓制がありました。九州では大分県の一部に報告されているだけですが、鵜戸山別当の墓は埋め墓と参り墓が同一墓地内にあるという大変珍しい形態をしています。

平安時代末の岩法寺石造五輪塔(国重文):福島県玉川村
全国に4基ある平安時代造立の五輪塔のうちの1基が岩法寺石造五輪塔(1181年)です。当地を領地とした頼遠→有光→元光→光儀→義季→基光と続く石川氏の誰が誰のために造立したか結論を得ていません。本稿では元光供養塔として基光が造立したとの仮説を提案します。


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コラム

死穢を嫌う神社に仏塔が存在する訳

墓制の歴史的変化

近日公開予定

江戸時代の墓石デザインの変化

近日公開予定